およそ800年の歴史を継ぐ本山茶産地は、静岡市安倍川上流域にあります。安倍川は大河川でありながら、ダムの無い珍しい川です。
山河のもたらす滋養分、南アルプスの伏流水と山霧、これらが平野部のお茶とは異なる透き通るような爽やかな香りと深い滋味を生み出します。
私たちがお届けするのは、この「奥深き山河の恵み」を存分にたたえる味と香りです。私たちは茶の真髄がここにあると信じております。
当社の仕入先産地でもある足久保や玉川では、昼夜の温度差が大きく朝夕川霧が深くたちこめるため、山霧による天然の覆いが柔らかで良質な葉を育み、また、平野部のお茶と比べて鮮やかな緑が特徴で、口当たりがやさしく、さわやかな香りが楽しめます。
そのような特徴から、“天然の玉露”と言われており、あまみと旨味、また、上質な渋みのバランスのとれたお茶になります。
今から800年の昔(鎌倉時代)高僧・聖一国師は、足久保の隣の山に位置する栃沢に生まれました。
中国に留学し故郷への帰路の途中でお茶の種をまいた土地が足久保。聖一国師の判断は正しかったようで、足久保はお茶の生育に適した土地で、今日に至るまで良質なお茶の産地として続いています。
それが静岡県のお茶史の始まりといわれています。
当時はお茶は薬と考えられていて庶民には手の届かない貴重品だったようです。
江戸時代のはじめには、天下統一を果たした将軍徳川家康が、静岡の駿府に立派な城を築き世界各国と交流を行いました。その為、家康の時代の静岡は、江戸と並ぶ政治・経済の中心地として繁栄しておりました。
家康からはじまった江戸時代は、世界史の中でも珍しい250年もの間、戦争がな無い平和な時代でした。家康はお茶を好み、標高1,000mの安倍山の大日峠にお茶を保管させ、春に摘んだ新茶を、秋まで 熟成させ味わったそうです。
この時代の茶会は政治的にも大きな役割があり、お茶は大切に扱われました。家康が亡くなると、大日峠へのお茶の保管は途絶えてしまいましたが、天和元年(1681年)からは、御用茶として徳川幕府に納める様になり、足久保には幕府の特権を持った御茶小屋が作られました。
そして江戸の町では宇治茶と並ぶブランド茶となり、安倍茶・足久保茶は、武士だけではなく江戸庶民の間でも親しまれる様になりました。
幕末になると、鎖国が解かれ生糸や茶はアメリカに輸出される様になり、静岡各地でお茶の栽培が急激に広がります。そこで大正時代に、元々栽培されていた品質の高い山間地茶園を、〈本場 の山のお茶 〉という意味を込め、名称を安倍茶から本山茶へと変更したそうです。
この機会に一味違う香味豊かな本山茶をご賞味下さい。